三浦 章 池本 貴浩 山内 隆弘
11月8日 山口南19:30〜
11月9日 御殿場6:00〜富士吉田6:30〜佐藤小屋7:10〜花小屋9:20〜
東洋館下10:00〜東洋館10:30〜太子館11:30〜白雲荘13:00〜本八合14:3011月10日 本八合7:30〜富士山頂8:50〜本八合9:40〜佐藤小屋12:00〜宇部24:00
今回の目的が新人育成ということもあり、初めての雪山、初めての富士山を体験した新人の山内が報告することになりました。山内は、初めての雪山ということで、ろくな装備を持ち合わせていなかったため、アイゼンやらなにやらと三浦さんにお借りすることになった。前日の7日に凡へ打ち合わせのため集合し、装備の確認を行うと予想以上に山内は装備が無く、見るに見かねて居合わせた千田さんや八木さんが足りないものを用意して下さった。これでやっと雪山に行く準備が整った。
翌日8日に夕方に宇部を出発した。運転を交代しながら夜通し車を走らせ翌朝9日に、御殿場に着いた。吉田町に入ると富士山が見えた。遠くから見ても一目で富士山だと分かり、周りに山が無いだけに富士山の存在感がより大きく感じられた。頂上付近には雪がかかっており、初めてナマで見る富士山に大変感激した。真っ青の空のキャンパスに、朝日に照らされた赤光った富士山は絶景だった。空は晴れており山頂には雲がかかっておらず天候には恵まれたが、冬型のため気温がぐっと低かった。
5合目の佐藤小屋に到着して出発の準備を始めた。そこに一人登山者がいた。その人は上に登ったのだが風が強くて途中で引き返してきたらしい。確かに今この場でさえかなり風が強い。ちょっとした物なら飛ばされてしまいそうだ。気温もかなり寒く感じる。今回は、風が強すぎるといくら天気が良くても頂上アタックは行はないと三浦さんが言っていたのを思い出した。準備を整え天候を祈りつつ、いざ頂上へと出発した。
5合目の時点で2250m。既に山内は今まで体験したことの無い標高だったため、体を順応させるためにゆっくり登ることになった。5合目付近にまだ雪は無くこげ茶色の土とごつごつした岩がいたるところに顔を出していた。かつてここが火山だったということが容易に見受けられた。山内のペースで何度も立ち止まりながら、出発して2時間後位に花小屋で休憩を取った。厚着をしていたため、休憩を取った頃にはは汗だくになっていた。この辺から少々雪が見られるようになった。
40分後、東洋館下で休む。標高が上がるにつれ息が切れやすくなった。この辺りは氷が張っている所が多く滑りやすい。だんだん雪が目立つようになったので東洋館でアイゼンを付けた。そこで斜面歩行訓練、耐風姿勢、滑落停止、アンザイレンの歩行練習を行った。アイゼンを付けての歩行になかなか慣れずに戸惑いつつ、アイゼンを付けたことにより足が一段と重く感じた。先頭を行く池本さんに、アイゼンを付けたから今までよりもゆっくりと登るようにと三浦さんが促した。
8合目の太子館で下山してきた2名のパーティと出会った。彼らはカナダ人とベルギー人で、今朝登り、頂上まで行って来たらしい。すさまじい体力だと思い感心しながら、ふと足元を見るとノーアイゼンであることに度肝を抜かされた。白雲荘に着いたときには山内の体力は限界に近かった。少し歩いただけで息が切れ立ち止まるという状態だった。そのたびに三浦さんは、ゆっくりでいいからと励ましてくれた。
風も強く見渡す限り真っ白で雪に覆われ、登山道も雪に埋もれて見えず、杭と鎖を頼りに登った。本八合で天候と風と体力を考慮し、ここをビバークサイトにすることにした。テントの中で温かいお汁ことコーンスープを食したときには、マイナス20度の極寒の中での温かい飲み物は冷えた体に生きている喜びを与えた。今夜の晩御飯は池本さん作の中華丼だった。テミカンと呼ばれる保存食を作ってきており、それを温めてご飯にかけて食べた。風はさらに強さを増しテントがばたばたと音を立て始めた。
テントに入りまもなくすると、初めての3000mに山内は高山病の症状が出てきた。気分が悪く、顔がほてり、後頭部が痛くなった。食欲も無く早く寝たいという気分だった。高山病には水分を多く取ったほうが良いと池本さんが言うので無理やり紅茶を腹に流し込んだ。三浦さんは酒を嬉しそうに飲んでいて、とてもうらやましかった。テントがすさまじく音を立てる中、眠りには意外と早くつけた。
何度かトイレと風によって起こされはしたが何とか無事に10日の朝を迎えることができた。体の調子もまずまずで昨日ほどひどくは無かった。天気は太陽こそ出ていたが、あいかわらずの強風だった。夜のうちに強風に耐え切れずテントが破けている事が分かった。後で調べて分かったことだが、11月10日の富士山のこの時間帯の風速は30m/s以上、多き時には40m/sに達することもあったのだ。テンとも破けるというわけだった。
朝食を食べて身支度をし、必要最低限はここにデポして頂上アタックへ出発した。滑落しないようにアンザイレンを行った。風が強く、習ったばかりの耐風姿勢を何度も強いられた。風と共に氷雪が顔に直撃して痛かった。やはり登り始めると体がきつく、息をするのもやっとだった。何回も深呼吸するように深く息をしながら登った。僕らよりちょっと右下の急斜面を一人の登山者が見えた。彼もまた強風に苦戦しているようだった。三浦さんと池本さんはスピードについていけない山内を励ました。雪に足が埋もれながらも何とか踏ん張り、鳥居をぬけついに頂上にたどり着いた。三浦さんが良く頑張ったなと言ってくれた。もしかしたら頂上アタックは無理かもしれないと思っていたから本当に良かったと言ってくれて、とても嬉しかった。
頂上からは吉田の町や遠くの山々、お鉢巡りの各峰が一望できた。太陽で雪がきらきらとまぶしく写った。感動と喜びに浸るのもつかの間、さらに風が強く体にぶつかるようになった。そそくさと下山することにした。3時間位で無事全員佐藤小屋に帰ってくることができた。
今回、一番大変だったのは三浦さんだと思う。雪山はじめてと言う新人を連れ、多くの悪条件の中でパーティをリードし、ルートや天候、アタックから下山まで全てのことを考えて指導してくれた。テントの中では一睡もでき無かったと言う。そこまでして、初めて本当の登山をしたと言えるのだと思った。今回の主目的である新人育成は、当の本人である山内が、雪山の経験や勉強、多くの知識を身につけることができたので成功したと言える。
以上 記:山内
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