行動記録:
ソウルからプサンまで約600kmを徒歩で結び,日韓両国の参加者と,行く先々の現地の人々との日韓草の根交流を通じて国際親善を図りたい,とする趣旨で始め,今回は,特別の手続きを必要としない韓国の最北端である臨津閣(自由の橋)をスタートし楊平まで行くこととした
○2003.4.26(土)晴
仁川空港〜臨津閣タクシー(8人乗車)8,600+高速道料金750=\9,350
昼食 \4,340
夕食 \13,000
宿(2部屋) \15,000
(全て8人分,10,000W=1,000\で換算した。)
福岡空港発(JAL921) 09:15
仁川空港着 10:30
空港発 11:30
臨津閣着 12:30
臨津閣発 13:00
文山(ムンサン)着 15:30
歩行距離 約10km
臨津閣は北朝鮮との非武装地帯を挟んだ最北端である,陸地に国境を持たない日本人には,平素その緊張を感じることはないが,鉄条柵,監視所,部隊駐屯地の多いことなど,大変さを肌で感じた。
自由の橋
○2003.4.27(日)晴
朝食 \2,000
昼食 \4,000
夕食 \6,500
宿(2部屋)\10,000
法院着(朝食) 09:30
文山(ムンサン)発06:10
法院発 10:30
長興面松湫着 18:00
歩行距離 約38km
郊外の長閑な国道を快適に行くが,1km置きに○○部隊の駐屯地があり,首都ソウルの北方警備の緊張を感じさせた。
宿は,ソウル郊外線の松湫駅近くで旅館を探したが見つからず,渉外担当の努力でモーテルとなった。韓国ではモーテルに,その二人だけでなく旅行者が泊るのはまま有るらしい。
○2003.4.28(月)晴
朝食 \9,600
昼食 \10,400
屋台 \3,200
夕食 \12,000(焼肉などとビール)
宿(2部屋)\12,000
入山料 \520( 130×4)4名無料
松湫発 06:00
北漢山登山口着 07:50
朝食後発 08:40
衛門着 11:40
北漢山頂 12:00
宿(江東区) 16:00
歩行距離 約38km
国立公園の入園料は,65歳以上は無料らしく半数が該当し恩恵を受けた。今日は月曜日ですが,韓国の登山人口は多く登山道は老若男女でいっぱいです。
巨大な花崗岩でムスビ型をした,前衛の仁寿峰スラブは迫力満点でした(宇部山岳会でアタックしたことがあるとか)。
麓の登山道には屋台がずらりと並んで登山者の帰りを待っています,日本では見られない光景です,さっそく綺麗なアガシの屋台で咽喉を潤します。
北漢山後に仁寿峰
○2003.4.29(火)雨
朝食 \3,900
昼食 \6,400
夕食 \8,800
宿(2部屋)\15,400
宿発 07:10
宿着Hotel 17:10
歩行距離 約21km
雨の中を竹内さんの思いでの地である,国鉄往十里(ワンシムニ)駅目指したが途中で路が分からなくなり。通行中の女性に聞くと,判りにくいので途中まで送りますと雨の中を送っていただいた。(韓国の人は大変親切です)
雨中の10時間行進で皆な疲れはて,江漢を渡ったところでホテルに泊ることになった。夕食には,藤井さんのガールフレンド(梨花女子大)3名が現れ,日本留学の経歴がある彼女たちは,流石に日本語が堪能で,話が盛り上がり7月の24時間マラソン(済州島)での再開を約束した。
GFと楽しい夕食
○2003.4.30(水)晴
朝食 \830
夕食 \11,000
宿(2部屋) \10,000
宿発 06:00
大母山 09:20
南漢山
楊平宿着 18:00
ソウル市内を抜けた団地の中で,道を間違え大母山(293m)へ登る,この山は,宇部市郊外の霜降山の如き存在で,空身で登るソウル市民が多い。
この頃より体調を崩す者が続出し,それぞれ,タクシー,汽車などで予定地の楊平へ向かい,南漢山は岡本,竹内さんが登った。
皆がバラバラになるので連絡方法として,韓国用の携帯電話(JTB宇部でリース)を持つ落合さんをキーとして,それぞれが公衆電話で連絡を取合い,携帯電話が非常に役立った。
○2003.5.1(木)晴
汽車(楊平〜清涼里)@\440 \3,520
バス(清涼里〜仁川)@\510 \4,800
楊平駅発 汽車 10:08
清涼里駅着 11:03
清涼里駅発バス 12:00
仁川空港着 13:30
仁川空港発JAL922 16:45
福岡空港着 18:00
≪総括≫
テーマが韓国縦断の山旅で,現地到着後,全行程を徒歩(サブザック7から10kg)で行動した。普通,車で登山口へ下山後も車で宿舎へのパターンだが,今回は宿舎から平均約25kmを移動しながら山に登る行程で,相当ハードなものであった。平素充分なトレイニングを怠った高齢者には容赦のない鉄槌が下った。(これからも平地歩き,長時間がトレイニングのポイントと思うBin)
また,宿舎の確保も大変だった。8名という大世帯で,ビジネスホテルの無い韓国の地方都市を予約無しで廻るには,旅館,モーテルを利用することになる。韓国料理も慣れるほど旨かったが,全ての料理の激辛には,流石の胃袋も拒絶反応を起こした。
渉外担当の落合さんには,宿と皆の食事の注文を全て巨体に汗して,韓国語で対応して頂き,全員から尊敬の的であった。彼がいなかったら全員の行動はパンクしていただろう。ご苦労様でした。
次回は楊平から太白まで約150km(龍門山,雉岳山,太白山)を計画している,今回の経験を参考にして取組みたい。
記:米澤
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