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韓国の鯖街道を行く(盈徳から安東90Km)
と安東仮面フェスティバル
   
 期 間  2006年10月 1日〜10月10日
 メンバー  [第1班]  竹内邦夫 米澤鴻一 萬行 馨(元山岳会員) 佐藤弘道(元山岳会員)
 [第2班]  7名(竹内氏の友人)
       
 [10月1日]
 JR下関駅16時49分着の電車で集合し,フェリーターミナルへ、関釜フェリー(星希)へ乗船乗客は少なく、大部屋に我々4名とアメリカ人1人の5名だった。
 [10月2日]
 フェリーは揺れも無く、眠っている間に釜山港に到着していた。
 今日は珍しく8時から下船開始、入国審査もスムーズで外に出ると、いつもながら金化守,尹秋子ご夫妻、朱福魯,李英順ご夫妻と孫娘ちゃんの出迎えを受けた。ターミナル内の釜山銀行でウオンに両替した。
千ウオンが780円段々ウォンの価値が上がっているのを実感する。
朱福魯さんのご好意により東大邱まで自家用車で送って頂く。
 国道1号線を100〜130km/hのスピードで走り10時30分に東大邱駅前に着いた。
中央高速バスターミナルで10時50分発の安東行きの高速バス(6,800w/人)に乗り、安東の市外バスターミナルには12時05分に到着した。
 安東駅前の観光案内所で崔所長へ挨拶し荷物を預け、ホテルカルフォ二ア前の店で海鮮冷麺(エイの刺身が載っている)激辛(5,500w/人)を食べた。
安東市外バスターミナルから盈徳行きのバスに乗り14時00分発(8,900w/人)15時30分盈徳ターミナルへ到着し国道横のサンミモーテル(35,000w)を今日の宿泊地とする
【鯖街道を行く】
 盈徳から河口港 約8km 宿に荷物を置き、盈徳から河口港まで歩く。
16時05分に歩きスタートし17時50分薄暗くなった河口港の魚市場に着いた。〈11,500歩〉
 河口港は、漁業と観光の街で食堂お土産の店がずらり並び水槽には生きた大蟹、魚がウヨウヨしている。
 各店ともアジュマの呼び込みが多い。一軒の店に入り水槽から大蟹3匹を指名してゆでて貰う、足の無い蟹はタリガオプソヨ(足が無いよ)と言って代えてもらう、味噌はカニメシで食べる。
ビールの付きだしはイカと巻貝(ソラ)でとても美味だった。
アジュマと記念の写真を撮って19時に店を出る。(ビール4本含め90,000w)
帰りにスーパーでビールと焼酎を買いタクシー(8,000w)で宿へ帰った。


盈徳河口港


大蟹を食べる
 [10月3日 火]
  盈徳から黄腸 約28km 今日もいい天気、盈徳のサンミモーテルを7時に出発した。
前方のビルから黒煙が上がり爆発音も聞こえた。まもなく消防車が駆けつけ消火作業に当たった、火事のようだ。
道の両側には、リンゴ畑が続く。10時40分知品で食事(ビール6,000wテンジャンチゲ・豆腐チゲ2,600w)
11時40分に出発。13時40分壽岩里、15時00分黄腸のバス停で本日の歩行終了〈39,800歩〉
 市内バス(900w)で新村薬水へ、各所に薬水が湧き出している。色は茶色で飲むと酸味がある、炭酸泉だろう。
 テドンモーテルに泊まる。
 晩御飯は宿の食堂で名物の鶏肉を円盤状に焼いた鶏肉のプルコギと鶏肉を薬水で煮込んだ(鶏の湯)を食べる。(ビール、焼酎を含めて60,000w)


道路脇のりんご売り場


朝から松茸(アジュマのサービス)
 [10月4日 水]
 黄腸から釜谷里 約24km 7時30分に朝食テンジャンチゲ、8時10分宿のアジュマに車で、釜谷里(安東へ31k地点)のガソリンスタンドで降ろして貰う。
  8時30分歩行開始、10分歩くとダム湖の大きな橋を渡る。
眞寶の街に入り9時40分バス停留所〈8,000歩〉10時35分月田〈13,300歩〉を経て、丁度12時00分に新村薬水のテドンモーテルに帰ってきた。〈21,600歩〉
 昼食は、宿のアジュマがカルククス(手打ちうどん)を作ってくれた。
この地はマツタケの産地で、農家の人が山から取ってきたマツタケを売りに来た。
 13時50分に安東観光案内所の崔所長の車で黄腸のバス停まで送ってもらう。
 14時00分出発、15時05分黄腸峠を越えたところで〈5,700歩〉、青松郡役場職員の出迎えを受け、写真撮影をされた。
 15時40分に新村薬水の街に到着し、青松郡の 李慶国文化観光課長が花束をもって迎えてくれた。 小学校を改装して建設した、郡立青松野松美術館を李元佐館長(韓国を代表する韓国画家)の案内で、館長の描いた大作を鑑賞した。
 16時50分モーテル着〈12,400歩〉 夕食は、アジュマ推薦のキムチマンドル〈43,000w〉を崔 宗燮さんと食べる。


李元佐館長(中央)
 [10月5日 木]
 釜谷里から安東市龍岡書院 約30km  モーテルで朝食テンジャンチゲ(20,000W/4人),車で昨日の出発地釜谷里(安東へ31km地点)まで宿のアジユマに送ってもらう。
アジュマが、眞寶の街で買ったセッカリクンミサルトック(もち)をお土産にもらう。
 8時15分出発、8時45分〈3,000歩〉峠を越え、9時40分〈9,700歩〉臨河湖の橋の前で休憩、10時20分 臨東(ホテルデンマーク)、11時40分〈20,000歩〉ダムゲートへの分岐点にある休憩所の庭で、お土産に貰ったトックを食べる。12時15分出発。
 国道は秋夕(旧暦のお盆)で、帰郷の車が非常に多いので、なるべく旧道へ逃げる、旧道は古い時代の家並みが続き風情がある。
 13時10分スミョン(安東に13Km)ダムゲートがある。旧道を歩いて河原の中洲を歩いていたが行き止まりになり引き返した。
 14時55分安東大学付近でモーテルを探すがない。缶ビールを買い15時35分まで休憩した。
 安東市街の、龍岡書院近く16時25分〈42,000歩〉水道事業所前バス停で歩き終了し、市内バスに乗り安東バス停留所へ、竹内さんの定宿モーテルへ泊まる。


両班の屋敷


セッカリクンミサルトック
 [10月6日 金]
 龍岡書院から安東駅 3.5km 7時5分市内バス(900W)で安東バス停留所から水道事業所前へ。
 7時20分歩行開始8時10分〈5,200歩〉安東駅へ到着、観光案内所は9時の開館、駅前のベンチで待っていると、安東塩鯖会社の趙さんが、安東駅の隣にある警察署の前で待っていたらしい。
電話連絡でチマチョゴリを着た趙さんが警察官5〜6人と一緒に現れた、あらためて駅前でサバ街道完歩の記念写真を警察署のみなさんと撮る。
 趙さんの車で35号線を北に上り鳥川遺跡へ行き書院を見学した。
 ここには両班の家で、外出できない女性が外を覗くために遊んだというブランコがあり、早速趙さんに乗ってもらった。
佐藤さんたちのために、清涼山登山口まで行き食事をすることにした。
昔の民家風の食堂で冷麺と焼鯖(安東塩鯖会社の鯖)を食べる。
 竹内、米澤は趙さんの車で安東へ帰る。
 万行・佐藤の2名はマートを兼ねた民泊で交渉。(一室35,000W)オンドル部屋で綺麗だった。
 佐藤さんたちは、時間も早いので12時30分散歩に行き、洛東江をさかのぼり歩く。
北谷里を越え13時50分〈14,500歩〉カンジャン2橋で引き返し、清涼山入口〈19,000歩〉の民泊に帰った。
夕食に(17時30分)先ほどの食堂へ入るがもう予約の無い人はダメと言われたがそこをねばってテンジャンチゲを作ってもらう。
時間をかけてビールと焼酎を飲んだ帰りは19時になっていた。
 竹内、米澤は2班を迎えに釜山へ


ブランコ


清涼山
 [10月7日 土]
 清涼山登山(万行、佐藤) 荷物を預け出発しようとしたら、お客がラーメンを食べていたので私たちも急遽朝食にラーメンを食べて行くことにした。
 民泊7時20分出発、公園の料金所はまだ誰もいない。
 車道を歩くと7時50分〈3,000歩〉ソンハクジャンから清涼寺の急勾配の参道に両側にボンボリがある。
 8時15分〈4,600歩〉清涼寺に到着した。大きな寺で建物が沢山あるが最上部の裏から登山道がある。
 8時45分〈5,500歩〉で分岐点のトウシレ峠に着く(標識では頂上へ1,3k 1h30mとある)9時20分〈7,000歩〉峠を越え大きくえぐれた大キレットの岩場をロープやハシゴを頼りに下降しまた昇る。
 9時30分三叉路に義湘峰(頂上)(0.3km)チャゾ峰(1.6km)ドンジェソ(1.5km)の標識があった。
 9時40分義湘峰(頂上)870,4m〈7,800歩〉到着した頂上は平坦で雑木も生えており平凡な感じ。
 ビールで乾杯後10時00分に下山開始、登ってきた道を帰る。
 10時40分〈10,500歩〉三叉路義湘峰(頂上)1.3kmチャゾ峰0.7km寺0.7km。
 縦走路のハシゴを登って11時05分〈11,800歩〉チャゾ峰頂上
 ここで昼食のパンクラッカーを食べる登山者ともちょくちょく出会う。
 15分の休憩後出発岩場に固定された階段を下りると、ローソクの様に突き立ったタッピル峰(820m)のわきを巻いて林の中の縦走路を歩き、12時00分フ日峰(750m)〈14,600歩〉に出た。
 その後急斜面を下ると、12時30分に清涼寺〈16,700歩〉に出た。
 その後谷間のまき道を通り立石へ12時55分〈18,700歩〉途中沢山の登山客子供連れの家族に出会った。
秋夕のためなのだろうか?車道には沢山の車が駐車している。
 朝登った寺への上り口を通り、券売所で登山地図を貰って、民泊帰えり早速ビールを飲んだら、アジュマが西瓜を切って出してくれた。
 アメリカ人の世界一周男も店の手伝いをしていた。
バス(14時30分)まで2時間も待つためタクシーで帰ることにした。
陶山書院までタクシーで12,000wとアメリカ男が通訳してくれて便利だった。
陶山書院では入園料1,500wを払って入った。
米澤氏が居たら坊主頭を見せて、65歳以上だと言って無料になるのに私達では通用しない。やはり表現力の差かな?
 市内バスは陶山書院15時30分発(1,000w)で16時20分に安東バスターミナルへ着いた。
 ターミナルから玉洞のホテルギャラリーまで暇にまかせて歩いた。
歩行距離〈14,600歩〉ホテルでは受付の女性に予約が入っているといっても要領を得ない。
竹内さんへ電話をして予約が出来ていることを確認した。
だが室の清掃が出来ていないため入室は19時とのことで、外で食事をして時間をつぶすことにした。
 玉洞で民族食堂に入ってマンジャン(豚の腸の焼き物)3人前とビール・焼酎を飲んで(32,000w)だった。
ホテルへ帰る途中で第2班のメンバーと出会いホテルへ入った。 竹内、米澤は2班を連れて釜山から安東へ
 [10月8日 日]
 第2班は河回村等の観光へ出発。
 第一班は休養日で今日のマツタケパーティーの準備をした。
 崔 宗燮所長の案内で、安東市外の鶴駕山のふもとのマツタケ集荷農家へ買出しへ、最上級で35万w/Kgと少し小ぶりで数の多い22万w/Kgを2個購入した。
サービスで生のマツタケをゴマ油と塩で食べさせてくれたが、ごま油の匂いがきついので塩のみで食べたが、勿体無いので食べ残し、包装してもらって持って帰った。
 安東市内に帰り安東牛の肉専門店に行くが、安東黄牛のステーキ肉は秋夕で全部売り切れ、また牧場が休みで品切れだった。
 玉洞の大きなスーパーで牛肉、野菜、食器類も購入した。
鍋は西部市場まで買いに行った。
調味料は全て日本から持参で、米澤コック長の調理でマツタケ飯・焼きマツタケ・お吸い物・ステーキと盛り沢山の料理が出来た。
 観光の第2班も帰着。
19時から崔 宗燮所長・子供さん載旭、載寧の二人、趙さん世良さん関係二人も含め大宴会となり夜遅くまで盛り上がった。
 [10月9日 月]
 7時 朝食、韓国豆腐の味噌汁、安東塩鯖のフライパン焼、野菜サラダETC 玉洞から市内バスでバスターミナルへ。 8時45分発東大邸10時37分高速バス(6,800/人)東大邸駅からKTXで釜山へ帰った。
 KTX内のテレビのニュースで、北朝鮮が核爆発の実験を実施したと言うニュースが流れていたが、乗客は誰も驚いた様子も無かった。
 釜山駅から、地下鉄で南浦洞まで行き金森夫婦が今日宿泊するホテルへ荷物をあずけ、元山冷麺を食べた後チャガル市場の農協スーパーで買い物、ホテルで荷物を取りフェリーターミナルへ歩いて帰った。
 金・尹夫妻・朱・李夫妻と孫娘ちゃんの見送りを受けてフェリー「はまゆう」に乗船した。
 朱さんは、10月2日に私達を東大邱へ送った後、ソウルの国際ウルトラマラソン(100km)に出場して、昨日帰ってきたらしい。日本人が2位に入賞したと熱心に語っていた。
 [10月10日 火]
 下関フェリーターミナル着。
 8時下船開始一般客から降ろしてくれた。
 お土産のマツタケも植物検疫はすんなり通ったとの事、ただし虫食いはダメ、そして香りつけの松葉、土は良く落としておくらしい。
 ここで解散、下関駅9時01分電車に充分間に合った。


これなら植物検疫も通ります、と崔所長さん。
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