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秋のパノラマ銀座を歩く
山行日  2008年10月3日〜10月5日
 
メンバー 斉藤宗、斉藤滋
 
 北アルプスに行きたくてチャンスを待っていたが グズグズ台風などで夏山シーズンは過ぎ、秋になってしまった。 それではと 晴れた日の紅葉見物をねらい10月1日宇部を出発する。(深夜割引を利用のため高速道のSA泊)
燕岳 槍ガ岳
 10月2日は3日の早朝からの登山開始に備えて穂高町に宿泊予定。今日は時間にゆとりがあるのでG(我が愚妻で 若い頃はSigekoさんの Siを省略しGekosanと呼ばれていたらしい)が白川郷に行こうと提案。
 早い時間だったため 観光客の少ない白川郷をのんびりと散策してから  目的地の穂高町に向かう。(穂高町のスーパーで行動食など購入)
 ネットで見つけた宿の 今宵の客は我ら二人のみ。夕食は信州鮭のフライやビーフステーキでビールもすすむ。 シェフつきっきりのサービスで 日頃夕食時は食べない白ご飯も完食し、部屋に帰ると長距離運転の疲れですぐに爆睡。
 アクシデントは 深夜1時半 胸のあたりがムカムカし気分が悪くトイレに駆け込み激しく嘔吐。なんと胃の内容物は殆んど消化されていない。
 昔マロリーワイス症候群(激しい嘔吐で胃と食道の間が切れる)を経験しているので青くなる。  (後日 同年輩の人から 肉をたくさん食べた後 すぐ寝ると消化不良で戻すことになると聞いた)
 10月3日  早朝5時にと予約していたタクシーをキャンセルしたGは、地元の病院のことをタクシー会社に聞いている。 今日の登山は止めて病院での受診を最優先と考えたらしい。看病で眠れずGも不調を訴える。
 辺りが白み始めて小鳥の鳴き声が聞こえ始める。今日の好天を喜んでいるようだ。
 6時40分。携帯電話のiモードで 天気予報をみると 今日明日は天気が良いが 3日目は下り坂に変わっている。今日一日病院に費やしたら・・登山を諦めて帰ることにもなりかねない。
今からなら なんとか燕山荘までは辿りつくだろう・・・。幸い胃はおとなしくなりつつある。 水を飲んでも大丈夫だ。
 心配するGに再度同じタクシーを呼んでもらい 7時過ぎ中房温泉登山口に向かう。運転手さんは「この秋一番の上天気です」と言っている。
 結構な距離で カーブも多くどんどん高度を上げて行く。この道は冬は閉鎖だろう。
 登山届を提出し当初の予定より2時間余り遅れて8時10分中房温泉発。
 20数人の団体さんの後を登る。日本三大急登と言われているらしく  前を行く人の靴が顔に当たりそうな所もある。 しばらくすると 団体さんは衣服調節のため立ち止まったので、先に行かせてもらう。
 自分は空腹であるがどうにか平常のペースで登っている。
 我らのすぐ後にスラリとした女性が軽やかな足取りでついている。「お先にどうぞ」と言うと「このペースが丁度良いです」と言われる。 滋賀の方で(Kさん)
 やはり好天をねらって来たとのこと。以後あちこちの山の情報を交換しながら高度を上げていく。
合戦尾根の紅葉 合戦小屋に到着
 お目当ての紅葉も現れ始め 富士山や槍ガ岳も見えるようになると 昨夜のことはすっかり忘れ 気分は Hiになっていく。
 合戦小屋の頭に到着すると 好天のため稜線が 近くに見える。傾斜も緩くなったが ここからが長く ついにはシャリバテ状態になりGに「何か食べ物を!」 いつの頃からか山での行動食はGにまかせっきりになっている。ついでに 財布もだが。
 梨を手始めに色んなものを口に運ぶ。空っぽの胃のまま 2500m近くまで登った反動か。反対にいつもは食欲旺盛のGが食べられずKさんに勧めている。
 燕山荘に到着し改めて昼食。Kさんはここで一泊し、明日下山とのこと。
 我らは大天荘まで進む予定なので、急いで燕岳へ。
 若い頃 同じ山岳会のO氏に連れられて 槍ガ岳の北鎌尾根を下り 川九里沢を登り返し 最後はハイ松漕ぎで この稜線に達したことがあるが 到達点が何処か思い出す余裕もない。
 ゆっくりと風化した花崗岩のオベリスクの写真を撮りたいが 大天荘を目指すため慌ただしく往復。
 14時過ぎに燕山荘で「予約しているので今から大天荘まで行く」と告げると「日暮れが早くなっているので止めたほうがいい」とのこと。燕山荘と大天荘は同じ系列の小屋同士なので キャンセルの連絡もしてくれるとのこと。 なんとか行けそうな気がするが 昨夜からのことを思い出し素直に止める。
 陽が傾くと急に冷え霧が出始める。
 夕食はKさんと同席する。食後 燕山荘・赤沼オーナーのホルン演奏とお話(ビデオだが)を聞き、その後 外に出て満天の星を眺める。 流れ星を写真に収めた人もいたようだが、自分のデジカメでは駄目だろうと諦める。
燕岳へ向かう 浅間山の右から日の出
 10月4日  快晴。
 Kさんとお別れし出発。朝日は噴煙が目立ち始めた浅間山方向から昇る。
 朝日が当たると北アルプスの山々が はっきりと同定される。
 北は白馬岳、剣・立山 西は裏銀座の山々から槍・穂高岳、笠ガ岳。東は妙高・火打岳〜八ガ岳・。南は富士山〜甲斐駒・北岳のオンパレードである。
 朝食をお弁当にしてもらい早立ちしたのに 山の名前を当てっこしていると 稜線歩きは遅遅として進まない。
 霜柱が立っているので 今朝方は冷えたのだろう。キーンとした大気のもとで豪華絢爛な峰々と秋の色彩が幕あけだ。
槍にも朝日 蛙岩下を通過
 写真撮影でまたまた時間が掛かり 今日の目的地 蝶ガ岳に明るい内に着くだろうか・・でもこんなに素晴らしい天気に恵まれ慌てて歩くのももったいない。
 朝日に後ろから照らされ展望もよく「昨日燕山荘で止めて本当によかった」と話す。無理して先を急いでも午後の逆光 しかも霧の中では写真も撮る気になれないだろう。
槍と黒部源流の山々 常念方向
 鎖とハシゴのある切通岩を過ぎると 地図上では、大天井岳ピークを避けてトラバースできる破線がある。こちらを選んで楽をしようと考えたが、 こちらもジグザグの登りがあり結構きつい。稜線に登りきったところに大天荘がある。
 Gは30年前に泊まったとのことで なつかしがっている。
 さて ここからは槍へのルートと別れ ゆるやかな稜線漫歩となり気が楽である。
ウラシマツツジと槍 穂高
 ところが常念方面から登ってきた登山者が、「猿の集団がいるので 気をつけたほうがいいですよ」と教えてくれる。
 確かに 東天井岳手前の鞍部に30匹ぐらい登山道を占拠して 何かエサを食べている。
 近づくと母子猿は逃げるが、ボス猿と戦闘員猿は 家族と人の間に入り警戒をしている。
 冬を前にまるまる肥えて迫力がある。素知らぬふりしてどうにか通過。
 周辺の植生から、コケモモやクロマメの木の実などを食べているらしい。
 真似して自分も食べてみたが まずまずの味か。
鞍部に猿の群れ 大天井岳方向
 東大天井岳を過ぎると 前方に優美な横通岳と立派な常念岳が見え始める。
 ウラシマツツジとハイ松のコントラストが強過ぎるが、雄大な景色に何度も立ち止まる。
 稜線のはるか上を 飛行機が飛んでいるが 飛行機雲はすぐに消えている。
 最近見たテレビの情報によると この現象ではすぐには雨にならないらしい。明日は下山まで降らないのではと予測する。
ダケカンバの黄色も加わる 横通岳と常念岳
 横通岳をトラバース気味に通過する。白い砂礫と真赤なウラシマツツジそしてカラマツの風衝木の黄色は この時期だけのハデな色彩だろう。
 山稜の形も良く 積雪期には素晴らしい斜面になるであろう。
 先を急ぐ筈が この天気の下でこの光景では 焦る気になれず(しかも縦走路の前後に人影は無くまさに貸し切り!)ドカッと腰を下ろしついつい見とれながらお茶を飲んで大休憩となってしまう。
南アルプス方面 穂高岳が近くなる
 槍ガ岳がやや遠くになり 代わりに穂高の峰々が少しづつ近付いて来る。
 涸沢上部の紅葉も遠望できる。 周辺の尾根や谷はダケカンバの黄とナナカマドの赤で見ごたえがある。
 途中昼食を摂りのんびりしたので常念乗越には12時20分着。蝶ガ岳まで進むには微妙な時間となる。常念小屋の話によれば5時間以上かかるとのこと。今からでは日没となりそうなので今日はここまでとする。  積雪期のことを聞くと、「GWから営業しているので どうぞ!」とのこと。この東側の一ノ沢から安全に入山できるそうだ。
横通岳を前に休息 常念小屋でコーヒー
 夕食までには たっぷり時間があるので 散歩やテラスでのコーヒーを楽しむ。
 下界と同じ位の値段でとても美味しい。周辺の景色も素敵である。
 北アルプスで3番目に出来た歴史ある小屋らしく 先人が宿泊の折にさまざまな想いを記したノート(墨書き)等見ることができる。
 夕食も美味い。 常念小屋に泊まってよかった!
 10月5日  曇りのち雨の予報。夕方までには下山したい。
 常念小屋の食堂で朝食を食べていると、槍ガ岳の肩の小屋の灯りが見える。
 時々カメラからのフラッシュも ここまで到達することに驚く。
 6時 いよいよこの山旅のハイライト 常念岳の登りにかかる。
 常念岳の登りは石を積み重ねたようなガラ場で、歩き難い。せっかくの景色は立ち止まって楽しむ。
 尾根の西側は厳しい風雪のせいか 植生が貧弱である。
 それに比べて風下は木々が育ち、四季の色彩が豊かなようである。
 朝日が昇るにつれて 常念岳の影を縮めていく。「影常念」と言う言葉があるのだろうか。
影常念 常念山頂
 常念岳山頂は山体に比べて狭く 長居はできない。進行方向には数個の小さなピークがあり、その向こうは大きく下っているようだ。
常念の下り 奇岩
 急な下りで 乱れた踏み跡もたくさんあり慎重になる。
 今日は見通しが良いが、雨や霧で視界が悪くなると難所になる。 間違って進路を右(西側・一ノ俣谷)にとると、不安定なガラ場に下り登り返しが大変そうである。
下りは悪路 常念岳と東尾根
 鞍部に降り立ち やっと落ち着いて辺りを見渡す。
 稜線東側の紅葉は素晴らしく また次の登りに危険個所は無いので楽勝ムード。
小ピークに立つと 蝶ガ岳側から数パーテイ登ってくる。皆無言である。
 ここから一旦樹林帯に入るがすぐに 開けた所に出る。
振り返って常念岳を見ると 長い登りが威圧している。先ほどのパーテイが皆無言になっていたのが分かる。
 また樹林帯でしばらく展望が途切れるが 2592mでは穂高の左に乗鞍岳や御嶽が見える。
ナナカマド このナナカマドは黄色
 目の前に近づいた特異な頂上の蝶槍へは黄葉のナナカマドの中を登る。
 高い針葉樹に守られて風や霜に痛めつけられないのか葉はきれいだ。 とそんな黄葉に囲まれた小さな池が現れる。水面に映る黄葉。ひっそりとここを歩く者にだけ見せる煌びやかな装い。「 素敵!」とGが歓声をあげる。 樹間からは槍ガ岳も見える。
 ようやく着いた蝶槍頂上。特異なケルンが鎮座する。辺りは緑のハイ松と紅いウラシマツツジに囲まれている。
 穂高連峰がずいぶんと近くなった。
 奥又白・涸沢上部・屏風の頭・横尾本谷・槍沢上部の紅葉が見えるが、横一線に並んでいることに気がついた。
 同じような標高と言うことか。
 若い頃 先輩にリードされて登った 屏風岩・前穂高の4峰、3峰の岩場 それに厳冬期に登り雪崩にはたき落され、九死に一生を得た明神岳東稜が 梓川を隔てて目の前に見える。
 リードしてくれた先輩達は既に故人であり 当時のことを思いだすと 色んな感情が交錯する。
明神岳東稜 蝶槍を超える
 当初 横尾に下り涸沢に入る予定であったが、天気予報は午後から雨。
 今日中に蝶ガ岳から三股に下ることにする。
穂高連峰 蝶ガ岳手前の二重山稜
 2663mの三角点を過ぎると二重山稜となる。風が強くなって来たので山稜の間に入って昼食とする。3日目ともなると行動食のパンも酷い形状になっている。
 手元は見ずに辺りの景色を見ながら食べる。起伏の余りないこの辺りは積雪期に視界が悪ければ かなり難儀するであろう。
 空は曇り始め 風もさらに強く吹き始めるた。雨は避けられそうもない。急いで蝶ガ岳ヒュッテに向う。
 11時15分蝶ガ岳ヒュッテ着。かなり冷えて寒くなっっていたので 先ほどのパンの口直しに800円也のうどんを注文する。 山菜とカツオブシ、刻みネギだけのシンプルなうどんだが なによりあったかいのが美味い!
 Gが下山時刻を予想し ヒュッテの電話でタクシーを予約。
 予定コースを変更したので GPSをセットし直す。今までは見通しよく地図の破線通りに歩んできて GPSに頼ることはなかったが・・。
下山開始 三股への道
 下山路はしばらく大滝山方向に進み、稜線から分岐を左に下る。
 今までの稜線の植生とは一変し 落葉広葉樹が多くなる。 ここでも常念岳の姿に名残惜しみ、次々と変わる紅葉の様に写真を撮りまくり なかなか先に進めない。
 ついに雨が降り始める。三股は近い筈だが雨具を着用。やっとカメラとGPSをザックに収める。30分で三股着。
 蝶ガ岳からの所要時間3時間15分。荷物の整理をしていたら5分後タクシー到着。
 予約の登山者を長時間待つことがあると言うタクシーの運転手は  待っていた我々に恐縮したように以後色々な事を教えてくれた。
 3日間の縦走は終わった。
 若い頃は「年取ってもいつでも歩ける」と思っていた山域が丁度良くなっている。自分の年齢を思い返すと納得できる。 ともあれ天候に恵まれ 満足できる山行であった。
 蝶ガ岳〜三股までの道は 2万5千分の1地図上の破線とかなり違っている。古い道と数回交差している。
 この山系の綺麗な稜線をみていると せめて残雪期に常念小屋を再度訪ねてみたい。
(文 斉藤宗)(写真・ 斉藤,斉藤滋)
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