へのリンク
屋久島 〜クライミング及び縦走〜
日 程 平成22年 3月18日(木) 〜 22日(月)
メンバー 鹿野(PL)、中西(SL、医療)、松田(食料、装備)、稲垣(気象)
A(モッチョム)組(鹿野、松田) B(宮之浦岳縦走)組(中西、稲垣)
 
 内 容
18日 山口出発(稲垣)22:30−山口大学(松田回収)22:45−小野田インター(鹿野回収)23:45−
19日 鹿児島北インター3:45−鹿児島港4:10−仮眠−鹿児島港発(フェリー)7:00−宮之浦港着11:00−ミルキーウェイの下見開始12:55−取りつき到着14:40−下山完了15:15−温泉(海中温泉、湯の間温泉)−晩飯17:30−就寝19:00
20日 起床4:00−朝食4:30−取りつきへ向け出発5:45−取りつき到着6:25−クライミング開始6:45−3ピッチ目の途中で撤退9:40−下山完了11:40−淀川登山口16:00−白谷雲水峡(18:00-18:45)−白谷小屋19:05−就寝21:00
21日 起床4:50−白谷小屋出発5:15−楠川分かれ6:00−大株歩道(6:40-6:50)−大王杉7:30−縄文杉(7:45-8:05)−大株歩道10:00−楠川分かれ(10:45-11:00)−白谷小屋12:14−白谷雲水峡13:00−温泉−反省会
22日 起床7:00−宮之浦港発13:30−鹿児島港17:30−下関23:00−山口0:00
 3月18日
 いよいよ屋久島へと出発する日が来た。
 100岩で初めてモッチョム岳を知ったのは半年前くらいだろう。
 モッチョム岳のスケールの大きさ、雄大さに惹かれていずれは登ってみたいと思っていた。ただ、情報がなさすぎる・・・
 今日まで本、インターネット、知り合いなどから得られる情報を得たが、十分だとはいえない。
 だったら「自分たちで記録を残そう!」と鹿野と話し合い、今日出発するまでに至った。期待が半分、不安が半分の中屋久島へと出発した。
 今日は移動のみ。稲垣と鹿野が交代で運転をして、屋久島港へと到着した(自分はペーパードライバーのため出番はなし…)。
 3月19日 快晴
 雲ひとつない青空!最高の天気である。 7時発の屋久島行きフェリーに乗り込む。
フェリー乗船
 今日は3連休の前日ということもあって、あまり人が多くない。
 桜島や開聞岳を眺めながら、屋久島へと渡る。 といっても…稲垣は乗船後10分くらいで爆睡。続いて鹿野も寝てしまった。 やはり、仕事→運転の疲れがあったのだろう。
 自分はあまり寝れなかったので中と外をうろうろ・・・ 途中から鹿野と明日のミルキーウェイの最終打ち合わせをしている内に屋久島へ到着した。
 人生初の屋久島!やっぱり暖かい。
 レンタカーを借り、今日はミルキーウェイの取りつきまで偵察に向かう。
 取りつきのスタート地点は目印の電柱に赤いテープが巻いてあったため、容易に見つけることができた。情報によれば、ここから1時間程で取りつきまで行ける。
 車から降り偵察へと出発。 ミルキーウェイの取りつきまでの道はモッチョム岳の旧登山道であり、道らしきものが続いている。ところどころ赤いテープや、白いビニールひもが木につけられてあり、順調に進む。
 ところが・・・
 途中の赤いテープを最後に目印がなくなってしまった。
 取りつきは地図上で、沢を詰めて滝のすぐ右上にあるため沢沿いを登って行った。
 途中から藪こぎが出てきたので、道が分かるようにケルンを積んだりして進んだ。
 そして、岩場に到着!!
 しかし、取りつきらしい滝がない・・
 むしろ滝の音が下の方から聞こえる・・・
 これは行き過ぎだと気づいて沢沿いへと戻る。
 そして、沢の反対方向へと少し進んだら赤いテープが見えた。 それから少し登った所に滝が見え、その右上に取りつきを発見した!
取りつき発見!
 取りつきまで2時間もかかってしまった。
 実際に取りつきに立つと長さ430mの雄大な壁が見え、とてもモチベーションが高くなった。
 明日これを登るのか・・・と考えながら下山開始。 帰りは道を見失うことなくすんなりスタート地点の電柱までたどり着けた。
 その後、海中温泉へと向かった。
 これは海の中にできる温泉で、干潮の時にしか入れない。 我々が着いた時はちょうど干潮で、屋久島のきれいな海を見ながらゆっくり入れた。
 屋久島の自然、風景ともに最高である。とても気持ちが良かった!
 そして、湯の間温泉へ。
 湯の間温泉は200円という安さ。ここでもゆっくりしテン場へと向かった。
 テン場へ着き、明日の準備や夕食を食べて早めに就寝した。
 3月20日
 4時に起床し、棒ラーメンを食べた。
 テントを撤収しミルキーウェイの取りつきまで向かう。
 まず、下山後のテントや食事を大きいザックに入れ取りつきのスタート地点に隠した。 荷物を最小限にするためハーネス、ガチャ類は体に付け、ロープは持っていく。
 ここまでは順調だったのだが・・・準備をしている内に、 「自分(松田)のハーネスがない」ことに気づいた。昨日確認した時には確実にあったのでどこかに置いてきてしまったらしい。。。
 急いでテン場まで戻ってみるとポツンとハーネスが落ちていた。
 今日は時間が大切なのは分かっていたので、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。 気を取り直して準備し、5時45分にヘッドライトをつけての出発となった。
 昨日偵察をしていたこともあり取りつきまではすんなり行くことができた。
 取りつき到着。
 色々準備し、早速スタート! 昨日ほど天気はよくないが、なんとかクライミングできそうである。
 我々が手に入れた情報では6時間で頂上まで抜けていた。6時間は無理だとしても遅くても、最低9時間(15時まで)には頂上に着きたいと思っていた。
 1ピッチ目 松田 5.9 45m B=4本(しっかりとした綺麗なボルトです)

 見渡す限りのスラブだ。隣に滝があるため所々濡れたホールドがある。
 キャメロットやナッツをはめるクラックなどは見当たらない。
 初めの20m程は大きな手掛かりやスタンスがあり、左上しながら順調に進む。
 途中から手掛かりが少なくなりいやらしくなる。さらに、45mでボルトが4本しかないためピンとピンの間がとても長い。 確実に一歩一歩決めながら、登った。
 2ピッチ目 鹿野→松田 5.10b B10 ミルキーウェイ核心のルートである。

 初めのうちは1〜2メートル間隔でピンが打ってある。
 ここが一番難しいのだろう。
 ここから浸み出しがひどくなり、手掛かりのよいホールドは半分くらい濡れていた。
 ここも1ピッチ目と同じく鹿野が一歩一歩決めながら登る。 しかし、5ピンほど登ったところでテンションがかかる。
 6ピン目までがけっこう遠く、濡れているため厳しい。5回ほどトライしトップを自分(松田)と交代した。
 鹿野が登った5ピン目までは何とか行くことができたが、その後は小さい濡れたホールドの連続でテンションをかけてしまった。自分も5回ほどトライしなんとか6ピン目を取ることができた。
 その後はもっと緊張する場面の連続である。
 ピンとピンの間が約5mおきくらいになり、つるつるのスラブが続く。
 時間をかけながら、人工でなんとか登って行った。
 そして、最後の5mは垂壁でフリークライミングのようなバランスが必要だった。
 何とこの1ピッチに1時間以上かけてしまった。
 そろそろ時間が気になりだした。しかも天気もそれほどよくない…
 3ピッチ目 鹿野→松田 20m 5.7 B2→3(実際は3つあった)

 まず大きく右にトラバースして登り始める。
 やはりここも浸み出しがひどい。
 情報ではピンが2本と書いてあるが3本あった。誰かが増やしたのだろうか…
 2本目まではバランスムーブの続くクライミングをし、その先が完全に濡れていた。
 鹿野の後自分も挑戦するがどうしても先に進めない・・・
 このままでは時間も足りないし、天気も悪くなる、技術的にも厳しいと判断し撤退することを決めた。
 とても悔しい。
 2ピン目に捨てカラビナを1枚置き、テラスまで降ろしてもらう。
 少し休憩した後、懸垂下降を2回繰り返して取りつきまで降りた。
 無念の撤退
失ったもの ・カラビナ 5枚 初めて【完全敗退】ということを経験した。
・スリング 2本
 今までを振り返ってみると、マルチピッチのクライミングや雪山などの厳しい場面は先輩方に連れて行っていただいていたため、今回のような経験をしていなかった。
 実際にこのような経験をして、我々の技術的な甘さや判断することの難しさ、悔しさなどを感じた。
 特に、クライミングを初めて1年ほど経って少し自信がついていたところだったので、より一層まだまだだなと感じた。
 ただ、絶対無理な課題ではないと思う。今後はミルキーウェイの完登を「良い目標」と位置付けてクライミングに取り組んでいこうと思う。
 練習あるのみ!!
 今年はまだ始まったばかりなので、秋もしくは来年の春頃にまた機会があれば挑戦したい。
 昼過ぎに下山し、縦走組(中西、稲垣)が淀川登山口に置いていた車を取りに行く。
 淀川登山口に着いたのは16時頃で外は大荒れであった。
 この雨の中でのクライミングは無理だ・・・と思うような雨と風であった。
 縦走組の2人は大丈夫だろうか。ケンカしてないだろうか。 などと鹿野と話しながら白谷雲水峡へと車を走らせた。
 白谷雲水峡に着いたのは18時で外はまだまだ明るい。
 駐車場の端で晩飯を食べ、自分は明日縄文杉へ向かう準備をする。
 鹿野は今回で屋久島が5〜6回目で縄文杉は見慣れているので明日は愛子岳へと向かう。
 それぞれ準備を終え、別れた。
 その後、荷物の軽量化のためテントを持たなかったので白谷小屋(無人小屋)へと向かった。
 白谷小屋には、1人で屋久島に来ていたシンガポール人の男性と、2人組の日本人の男性、高校山岳部らしい10人程度のパーティーがいた。
 そのなかで、シンガポール人の方と2人組の男性と1時間半ほど話をした。
 21時頃に寝たのだが、軽量化のためにシュラフを持っていかず、シュラフカバーとツェルトで寝た。
 いや、寝れなかった・・・
 後で思ったのだが、帰りにまた白谷小屋を通るのでシュラフをデポして縄文杉を見に行けばよかったのだ・・
 3月21日
 4時50分に起きると高校生のパーティーは朝食のラーメンを食べていた。
 5時過ぎにシンガポール人の方とあいさつをして別れ、出発した。
 まだ周りは暗かったが登山道はしっかりしているのでヘッドライトをつけて行動した。
 普段一人で山に登るという経験がないため、とても新鮮だった。
 途中でトロッコ道とぶつかり、だんだん外も明るくなってた。
 途中、爺杉やウィルソン株、大王杉や夫婦杉など樹齢3000年を超える大杉が次々と現れた。
 ただ、ウィルソン株はどれかわからず見過ごして・・・
 ついに縄文杉へ・・
 最後の階段を上る直前に、 「松田君〜〜」 と呼ばれ、上に縦走組の中西さん、稲垣さんがいた。
 なんと縦走組は自分が着く5分前に着いたらしいです。 めっちゃいいタイミングでした!
 その後、記念撮影をして3人で白谷雲水峡へと戻った。
 縄文杉にて
 白谷小屋付近で愛子岳を登り終えた鹿野と合流し、4人で白谷雲水峡まで降りた。
 その後は温泉、反省会、就寝といった感じであっという間に過ぎた。
 3月22日
 今日は昼のフェリーで帰るだけなのでゆっくり朝起きて、千尋の滝やガジュマルなどを見て屋久島を離れました。
 自分と中西さんは初屋久島であったため、どれも新鮮でとても良い経験になった。
 モッチョム岳!
 18時に鹿児島に帰り着いて22時には山口に・・・ の予定だったのですが、3連休の最終日ということもあり渋滞に巻き込まれた。
 山口に戻ったのは0時頃でした。
 稲垣さん、運転ありがとうございました! (途中で記憶を失ってしまいすみませんでした!)
 全体を通して
 今回は宇部山岳会の新人を中心として遠征を行うことができた。
 結果的には【失敗】に終わってしまったが、得るものはたくさんあった。
 計画の段階から情報不足の問題があったが、そこで諦めずに「自分たちでどうにかしよう」と気持ちを切り替えられたのは良かった。
 20日の撤退の判断も早い段階で決定できたので、最低限の残置物と時間で降りてこられたと思う。
 ただ技術、知識、経験共にまだまだまだまだ不足していること実感した。
 撤退を決めた時はホントに悔しかった。 そして、次の機会があるなら成功させたいと思った。
 今後も、時間のあるときに練習して【技術】を、本などで【知識】、そして先輩方と一緒に山行することで【経験】を積みたいと思います。
 次の遠征は秋?来年の春? また目標を設定して、次は成功できるように挑戦したいと思います。
 長い文章を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
(松田 翼 記)
Copyright(C) 2004 Ube Alpine Club All rights reserved.
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送