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船上山~勝田ヶ山~甲ヶ山~矢筈ヶ山~大休峠~川床
(中国山地の紅葉を求めて①)
甲ヶ山 ゴジラの背
山行日  平成28年10月19日
山 域  伯耆大山(鳥取県)
天 候  曇り
メンバー  斉藤(宗)  斉藤(滋)
行 程  10月18日
宇部自宅(7:30)~ 中国道庄原IC ~ R183 ~ 江府 ~ 大山寺(14:05)車中泊

 10月19日
大山寺(5:15)~ 川床(車をデポ)~ タクシー ~ 東坂登山口(5:55-6:05)~
 船上山休憩舎(6:50-7:00)~ 勝田ヶ山(9:45)~ 甲ヶ山(11:25-11:50)~
 小矢筈(13:15)~ 矢筈ヶ山(13:50-14:05)~ 大休峠(15:00-15:05)~
 川床(17:15)~ 国民宿舎大山ビューハイツ(17:30)泊
 紅葉の谷川岳に行ってみようと準備したものの秋雨前線の停滞で出発の朝になって取り止める。天候や病院通いでモタモタしている間に、上信越の山々は雪の季節になってしまったようだ。このまま秋が終わるのもつまらない。久しぶりに大山や蒜山の紅葉を訪ねてみよう。
 今年の紅葉はあまり期待出来ないが《外へ出る≒おさんどんからの解放》私にとって、それが楽しみだ。谷川岳に行きそびれた荷物を車に積み込み、まずは大山に向け出発する。
 10月18日
 勤めていた頃は仕事を終え夜を撤してR9を走ったものだが、今は時間だけはたっぷりある。高速道のおかげもあって余裕で大山寺に到着する。
 派出所に登山届を提出し船上山の東坂登山口まで行ってみる。前回歩いたのは2003年、13年のブランクは大丈夫かな? 不安もあるがワクワク感も。登山口の確認を終え大山寺に戻り明朝のタクシーを予約する。今日は早めに寝るとしよう。

 10月19日
 国際スキー場でタクシーと待ち合わせ、下山地の川床にデリカをデポし登山口へ。薄暗い中で身支度を整え、登り始める頃には灯りも不要になる。
 2014年10月に石井リーダー率いる会の若者が、今から挑むこのコースを歩いたと聞いた時は懐かしく嬉しかった。私が入会した当時は毎年のように誰かが歩いていて、大休峠からは川床に下ったり、野田ヶ山から振子山を経て頂上縦走、あるいは地獄谷、振子沢経由で頂上縦走等、泊りがけの山行が多かった。
 大山での様々な山旅を思い起こしながら登って行くと船上山休憩舎に到着する。まだ新しく快適に利用出来そうだ。

 船上山神社を過ぎ地味な樹林帯を行く。枝の枯葉や足元の茶色い落ち葉が目につき期待した紅葉の景色に中々出会えない。その上、雨具のズボンが濡れた笹でビショビショになりテンションも徐々に下降気味に。だが今日のコースは我が家にとっては体力、技術力とも星四つ(★★★★)無事踏破できるよう気合を入れて頑張らなければ。
勝田ヶ山への長い道程
 それにしても歌の文句では無いが歩いても歩いても勝田ヶ山に着かない。ガイド本のタイム通りに行かないと分かっていても、記憶に無い遠さに焦りを感じる。
 荷の持ち過ぎか? ネットで見た甲ヶ山の岩場の下りに怖くなりザイル持参だ。逆縦走をして岩場を登りに採ろうと提案したが「大山に向かって歩かんと・・・」とMに言われ従う。「ザイルは要んじゃろう」と言っていたMもビレー用装具一式を余分に担いでくれている。
勝田ヶ山から藪道に
ガスに浮かぶ甲ヶ山
 やっと勝田ヶ山を通過し甲ヶ山に向かう。登山者が少ないのか踏み跡はあるが藪道となる。
 急坂を喘いで登っていたら、いきなりゴジラの背が現れる。意外な感じだが前回歩いた季節は5月で足元は残雪だった。記憶と様子が違うわけだ。怖くても何だか懐かしいゴジラの背、無事渡れるだろうか? 意を決してMの後に続くと、案外スムーズに突破できホッとする。ようやく甲ヶ山に到着だ。
あともう少し ゴジラの背を行く
 甲ヶ山の山頂には思いがけず食事中の登山者がいて嬉しくなる(ここまで誰もいなかった)気づけば我が家はここまで夢中で歩き、行動食は手づかずのままだ。さぁ食べるぞ!と取り出したもののこれから下る甲の岩場を思うと手が出ない。そんな事ともつゆ知らずMはいつも食欲旺盛。せめて温かいコーヒーでもと思ったらM持参のテルモスは何故か空・・・「何で!?」と文句を言いたいがグッと我慢、お互い年だから仕方がない。

 さて、いよいよ最難関の甲ヶ山の下りだ。山頂で出会った男性は香取から上がって来て今から甲川に下るそうだが、逆に歩いていたパーティーの女性は、先程ザイルで確保されて下っていたとか、思わず緊張する。その話を聞きMはザイルを出すように言うが「一度見てから」と返事し、念のためスリングでの簡易ハーネスを装着する。
 前回まで問題無く下った岩場だが、ネット情報の煽りもあって恐怖心だけが募っている。冷静に冷静にと言い聞かせ下降点までやって来る。
 ザイルを出せば、時間もかかる。「なんとか下れそう」と心配顔のMに告げる。とは言ったものの岩場は濡れていて滑り易い。Mの指示通り1歩1歩足元を確認しながら、かなりの時間をかけてどうにか安全地帯に下り立つ。ホッ!!!
甲ヶ山の岩場
 思い出せば入会して初めて挑んだ大山がこのコースだった。今は亡きO先輩がリーダーだったが、なんて人だったんだろう! 何も知らない新人だから(つまり無知)ノコノコ付いて歩いたが、甲ヶ山を下った明くる日は、なんと烏ヶ山~槍尾根~頂上縦走と今の私には絶対あり得ないコースを歩かせたのだ(いや、歩かせていただいた。今となっては生涯の宝だ)あの頃大山の様々なコースを四季を通じて歩く事が出来たのも、Oさん始めよき(度胸のある?)先輩達に出会えたからだとつくづく思う。

 最大の山場を越したものの、まだ先は長い。安心感からかドッと疲れが出て足が重くなる。小矢筈と矢筈ヶ山の登りで一段とペースが落ちMとの距離が空いて行く。《紅葉を訪ねて》と優雅な山行を夢みたものの、気づけば白い帽子もシャツの袖口も泥だらけ、悪戦苦闘を物語っている。年相応にマイペースでと格好つけても時間は待ってはくれない。とにかく前進あるのみだ。どうにか矢筈ヶ山に到着しやっと行動食を口にする。もう登りも危険個所も無い筈、腰を下ろしゆっくりしたい所だが、そうもいかない。まずは大休峠まで頑張らねば。
小矢筈から烏ヶ山方面を望む
越えて来た小矢筈を振り返る
 かなり長いと覚悟はしていたが、それにしてもこんなに悪路だったかな?
 大休峠への下山路は石ころだらけの急下降、その上濡れていてスリップしやすく急げない。若かったら軽やかにトントントンと調子よく下れるのだろうが、ここも1歩1歩と行くしかない。皮肉な事にこの辺りになってようやく綺麗な紅葉が目につくが、もはや写真なんか撮っている場合じゃない。2人とも無言でひたすら下り、予定時間を大幅に超えたものの大休峠に無事到着し安堵する。
 急げば何とか明るい内に川床へ帰れそうだ。一時は大休峠避難小屋泊も覚悟したが「焼酎の無い避難小屋に泊まれるか!」のMの一言で下山開始(食料、水はあったのだが)
静かな大休峠
 威勢のいい啖呵は切ったものの、平坦な道を下るだけの筈が疲れた前期&後期高齢者には堪える。13年のギャップをしみじみ感じながら夕闇迫る中2人だけの下山が続く(この日出会ったのは2パーティーの3人だけ)沢の音が聞こえ始め、阿弥陀川を渡りようやくデリカに辿り着く。がすぐに宿探しだ。今夜も車中泊のつもりだったがヨレヨレの体で無理は出来ない。昔スキーでお世話になっていた宿に飛び込み、宿泊を頼み込む。案内されたのはスキー場が目の前に広がる家族で泊まった懐かしい部屋だ。

 紅葉探訪とは程遠い試練の1日が終わり、自分たちの軟弱ぶりを再認識する。これからどのように登山を続けて行くのか・・・いい反省の機会となった。快く泊めてくださった宿に感謝しながら、取り敢えず今日はゆっくり休みたい。
( 文:斉藤(滋)  写真:斉藤(宗) 斉藤(滋) )
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