HIKING RECORD 山行記録
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山行記録
飯豊連峰縦走 後編 (大日岳)
| 日付 | 2025/07/30 |
|---|---|
| 天候 | 快 晴 |
| メンバー | 斉藤(宗) 斉藤(滋) 会員外 田中(山口山岳会) |
| 行程 | 7月30日 御西小屋(4:05) ~ 文平ノ池 (4:55) ~ 大日岳(6:20-6:45) ~ 御西小屋(9:00-9:50) ~ 御西岳 ~ 飯豊山(12:50) ~ 本山小屋(13:15-13:35) ~ 切合小屋(16:45) 泊 7月31日 切合小屋(5:10) ~ 三国小屋(8:30-9:35) ~ 疣岩山(11:15) ~ 上ノ越(14:20) ~ 祓川駐車場(16:45ー17:00) ~ ロータスイン(西会津町) 泊 |

7月30日
ようやく明け始めた午前4時過ぎ、御西小屋を抜け出し飯豊連峰最高峰の大日岳へと歩き始める。濃い霧だった前回は足元の登山道しか見えなかったが、まるで挑戦を待ち構えるように聳え立つ今日の大日岳、あんな凄い山に登っていたのかと驚く。美しさの前に威圧を感じてしまう程だ。

主要な縦走路から外れているため登山者は少ないのか、登山道は狭く両側から覆いかぶさる草の露でズボンも靴もびっしょりと濡れてしまう。雨具を穿くのが面倒でそのまま我慢し進んで行く。

突然、眼下に文平ノ池が現れる。なぁんだ、こんな近くにあったのか。前回は霧のため見る事が出来ず心残りだった。今度こそと恋焦がれた憧れの池は意外と平凡だ。今までもいろんな山で湿原、池塘、池に巡り合って来た。頑張って、やっと目にする光景はいつも私を癒し元気をくれた。だが、ただの池・・・に見えたのは先へ急ぐ焦りの所為かもしれない。

山頂に近づくにつれ傾斜が増して来た。陽が登り暑さも増して疲れも増す。

涼しい内に稼いだので、まあまあのタイムで、ついに最高峰大日岳に登り着く。360度遮るものの無い大展望を独り占めだ。前回、霧のため数分で立ち去った同じ山頂とは思えない。初めてで好天に恵まれた田中さんは大喜び、Мと遥か遠い稜線を眺めながら山々の識別に忙しい。雄大な景色に囲まれ、いつもならカメラを手放せない筈の私だが何故か心が落ち着かない。目的の大日岳に登れた! 後は切合小屋まで頑張って帰るだけだ・・・そう自分に言い聞かせる。


御西小屋まで帰り着き遅い朝食を摂る。田中さんとМは美味しそうにカップ麺を食べている。大日岳往復だけで疲れてしまった私は何も欲しくない。食いしん坊にしては珍しい。だが若い頃は疲れ=食べられないは、しょっちゅうだった。会の夏山合宿で折立から入山し槍の西鎌尾根でバテバテになった時の話だ。肩まで辿り着くとHさんが箱入りのカステラを差し出してくれた。見ただけでムカムカし食べられそうになかったが、促され端の一切れを何とか喉に押し込んだ。後でHさんが「一番大きいのを取られたと思った」で大笑いしたが、こんなくだらない50年前の事を今も憶えているのは《バテテしまうと食べられない → 体力消耗》という苦い経験だったからだ。以来食べられる内にしっかり食べようと心掛け、現在の丸い体形に至った訳だ。食べられないなんて何10年ぶり? カップ麺は無理でも何とかエネルギー補給をしなくては・・・。

今日も2人に水汲みをして貰い切合小屋を目指して出発する。入山から3日目でもザックの重さは変わらない(減らない感じ) パッキングが不味いのか? 反って嵩は増えてしまった。捨てられる物が何もなく、ゴミだけは溜まっていく。平坦な草月平付近でさえスローペースでしか進めない。6年前は霧の中でも様々な花が疲れを癒してくれた。だが猛暑の所為かあの時程たくさんの花が見当たらない。例年に無い大雪が例年に無い速さで融けてしまった今年の飯豊山、容赦ない暑さに高山植物も早めに姿を消してしまったのだろうか。



覚悟はしていたが本山への大きな登りは過酷だ。遮るものの無い炎天下、水を飲めば瞬く間に汗となり顔面から噴き出して来る。前を行くМがじれったそうに振り返るが、ゴメン、これ以上はダメ・・・止まったりしないからマイペースで行かせてもらおう。

本山小屋まで帰って、まずは一安心。田中さんが差し出してくれた冷たいコーラで生き返る。小屋の管理人、金子さんから「この時間なら切合小屋まで行けるね。美味しいカレーが待ってるよ」と声がかかる。いざという時の(時間切れになったら)宿泊をお願いしていたが、おかげで不安なく歩け有難かった。

下りと言えども長いガレ場は神経を使う。景色を楽しみたいが足元優先、御秘所の岩場でもたつき(田中さん&Мはスンナリ)、最後の登り、草履塚は青息吐息。

ギリギリの時間になったが切合小屋に帰り着く。12時間以上かかったが今日も何とか歩けた。今晩が最後の小屋泊り、汗でヨレヨレのシャツを予備に着替えさっぱりする。外のテーブルを囲んで居合わせた方達と口にする夕食のカレーは、おかわり制限無しで有名(だった) しかし今年の米不足騒動でおかわりは1皿まで・・・といっても後期高齢者3人は、さすがにおかわりできない(ビールなら何杯でも・・・) 今年は猛暑の所為で、何処の小屋も水不足気味だ。今まで管から溢れ出ていた切合小屋でもチョロチョロ状態、なんとも心細い。これから夏山本番、大丈夫だろうか? 明日に備え、全ペットボトルにしっかりと汲んでおこう。
7月31日
下山の朝を迎える。

下るだけと前回のように気楽な気分にはなれない。まずは高橋さんのいる三国小屋を目指すが、今日もいい天気。相当な暑さを覚悟する。


3日間で蓄積された疲れの所為か今日もペースはイマイチ。せめて怪我をしないよう岩場、ガレ場を慎重に通過する。


三国小屋に到着する。高橋さんからのコーヒーが美味しい。ここまでのペースを思えば早く発たねばいけないが、高橋さんにはもう会えないかも・・・と思うと中々腰を上げられない(1時間も休んでしまう)。「下山したら知らせてよ」の声に見送られ意を決して歩き出す。
同じ景色がどこまで続くのだろう? 緩やかな道だが結構しんどい。3人共無言で黙々と下る。疣岩山への登りでМに置いて行かれたが田中さんは超スローペースでも付きあってくれ本当に辛抱強い。ザックの担ぎ方が不味いのだろう、重みに振られ何度もこけてしまう。巻岩山を越えせめて上ノ越までは休まない・・・と思ったが転倒をきっかけに座り込んでしまう。下山まで持たせないと・・・と思いながらまたまた水を飲んでしまう。とその時「はい、これ」と目の前に差し出された田中さんの手の平にはミニトマトが2粒・・・。「エッ!まだ持ってたの?」「うん、取ってたの。食べて」 美味しそう! 自分はいいと言うМに1粒渡す。甘い!田中さん、有難う!元気を出さなくっちゃ。
いい加減歩いても、まだ上ノ越まで辿り着けない。突然立ち止まったМ、なんと靴底が剥がれてしまっている。1番新しい靴、しかも出かける前私が入念にチェックした。なんで!? と嘆いていても剥がれたからには仕方ない。結束バンドで縛りテープを巻き付け応急処置完了。下山までどうにか持ちますように。やっと上ノ越まで辿り着く。後は急坂を下るだけ。だが3日前、よくまぁここを登ったなぁと思う程、下っても下っても切りが無い。足は、もはや機械的に出てるだけだ。少し先行していたМが「間もなく着くぞ」と振り返る。私の体力、Мの靴底、ギリギリのところでセーフ! 良かった! 長い長い下りがようやく終わる。ザックを下し高橋さんに電話しよう。

山旅を終えて
3回目の飯豊登山、足を引っ張ってばかりの不甲斐ない私に《これが今の実力》と教えてくれた。80才という人生の節目に沢山の人達(詳しい情報を頂いた西会津町の職員さん、登山口への道案内をしてくださった地元の方、山小屋の管理人さん、田中さん・・・)に支えられ何とか予定の日程で登ることが出来た。苦しくきつかった思い出が日が経つにつれジワジワと大きな喜びへと変わってきた。飯豊山で過ごした4日間の経験は、私の残りの人生の心の糧になるだろう。
| text | 斉藤(滋) |
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| photo | 田中 斉藤(宗) 斉藤(滋) トラック図: 斉藤(宗) |

